さよなら、オーベル。

■ オーフェルマルスが突然の引退発表(スポナビ)
 ユーロ2004(欧州選手権)でオランダ代表のウイングとしてプレーしたマルク・オーフェルマルスが突然の引退を発表した。オーフェルマルスは、長く右ひざの痛みに悩まされており、「プロフェッショナルとしてハイレベルなサッカーをすることはもうできない」とコメントを発表。

さっき知りましたけど、めちゃめちゃショックです。
彼ほど「ウインガー」という名称が当てはまるプレーヤーもいないでしょうね。
どんなでかい相手でも容赦なく縦へと突っ切っていく、あのドリブルがもう見れないとは・・・。
以前、誰だっけな、サカマガ伊東編集長か杉山茂樹氏かだれか(ほんとにド忘れ)が、『日本でクライファートファン・ニステルローイは生まれないだろうが、小柄で俊敏性に長けた彼のような選手なら、日本からでも育てることができる。』といった記事を目にしたことがあります。
上手くて速いドリブラー、ちっさくたって世界でやってける、チビに希望を与えてくれる選手でした。
2ちゃんねるでも彼のスレッドが立つほど、世界中のサッカーファンから愛されるプレーヤーも少ないでしょう。
何度言っても悔やまれるの一言に尽きます。
おつかれさまでした、そしてありがとう。

オーフェルマルスが惜しまれるであろう理由 By John May(2ちゃんより転記)

ルイス・ファン・ハールが、フレンドリーで善意にみちた魂の加護がずっと自分にあった、と思ったとしても、それはゆるされるだろう。この偉大なオランダ人監督が仕事で行くところどこにでも、マルク・オーフェルマルスがいたのだから。アヤックスバルサ、オランダ代表──ファン・ハールが眼をあげれば、ちょこまかと俊足をとばし、わずかな肩の動きでディフェンダーのバランスをくずしてしまうこの選手をいつでも見ることができたのだ。だから、オーフェルマルスが31歳で引退するのを、ファン・ハールが悲しい気もち以上のものを感じながら見ているとしてもおどろくにはあたらない。
BBCスポーツのインタヴューで、ファン・ハールは語っている
「あらたなマルク・オーフェルマルスがどこかで育っていることをねがっている。魅力的でスペクタキュラーなな試合をしつづけるためには、彼のような選手が必要なのだ。非常に重要なことだ。」
ファン・ハールオーフェルマルスアヤックスの名高いアカデミーから受けついだのではない。92年8月にヴィレムIIから獲得したのだ。監督の方は1年前にアヤックスに就任していたものの、ふたりは別々の目的地に向かってほぼ同時に出発した。ふたりがともにアヤックスにいた時期、クラブはタイトルをとりまくり、70年代はじめの大いなる無敵の時代に近いものがあった。
UEFA杯1回、エールディヴィジ3連覇、95年にはCC、その翌年にはトヨタ杯。ファン・ハールオーフェルマルスのはたした役割について熱を込めて語る。
「わたしはウィンガーで攻撃したい監督だ。よいウィンガーは多くない。彼は最高の人材のひとりだった。彼は1対1で勝てるすぐれたドリブラーだった。われわれのシステムのウィンガーにとってはそれが重要だった。しかし彼は非常によいアシストの記録をもっていたし、ゴールをきめることもできた。毎シーズン、彼は10から15ゴールをきめ、それらはほぼすべて重要なゴールだった。わたしがアヤックスで指揮をとった当初、われわれはすべてを勝ちとり、彼はわたしのチームでもっとも重要な選手のひとりだった。」
選手と監督は97年に別れる。オーフェルマルスが先に新しいチャレンジをもとめたのだった。
「彼はアーセナルへ行った。わたしは彼を行かせたくなかった」とファン・ハールは続ける。
「彼の家に行き、残留すべきだと、そしてもう1回CLのタイトルをとろうと説得したのを思い出す。」
「しかし移籍したいと思っていたんだ。」
ファン・ハールもその後まもなくアヤックスを去り、低迷するバルサを復活させるという壮大なチャレンジに向かう。カタルーニャでの最初の任期で彼はその仕事に成功する。有為転変を経て、ふたりは2000年にすれちがう。ファン・ハールは代表監督に就任、オーフェルマルスは2500万ポンドの移籍金でハイベリーを去りカンプ・ノウにやってくる。ファン・ハールがオランダ代表をWCにみちびけずに辞任し、バルセロナに復帰すると、ふたりは再会する。第1期ほどは成功しなかった、第2期ファン・ハール政権である。今度は事情が違った。オーフェルマルスはすでにヒザの故障と戦っていた。この故障は彼を今週引退に追いやった原因でもある。
「彼はわれわれが知っていた選手ではなかった。故障のせいだった」とファン・ハール
「2度目に指揮をとるためにバルセロナにやってきたとき、彼はもうバルサにいて、そして苦しんでいた。1日2回の練習はこなせず、90分プレイするには多くの問題をかかえてもいた。ひどい話だ。彼は自分のベストをつくしたいとつねに思っている選手なのだから。わたしにとって、彼が引退したのはおどろきではない。しかし彼にしてみれば勇気ある勇敢な決断だったと思う。『もうやめるときだ』と自分にいいきかせるのがかんたんなはずがないのだから。」
アーセナルのファンは2冠を勝ちとったチームの一員としてオーフェルマルスを好意的に記憶しているだろうが、ファン・ハールは言う。
アヤックス時代が彼のベストだったと思う。アーセナルでは彼はむしろ中盤の選手だった。あのとき彼らは4−4−2でプレイしていたからだ。あれが彼にとってよくなかった。アヤックスのシステムより走らねばならなかったのだから。しかしアーセナルでは彼はタイトルをとった。だから彼は悪くはなかったということだ。」

ということで、二年くらい休んだ後、偽名でJリーグに現役復帰後、引退しオランダ代表監督へ。というクリンスマン的生き方もアリということで。