僕は国語ができない

凄く興味深い内容の記事を読んでたんだけど、変に横文字言葉とか学術用語を多用してたので途中で読むのをやめた。
昔から「分かりにくい・回りくどい・伝わりにくい」文章が苦手で、国語の教科書とかでも四苦八苦してた。
文章問題で「以上の文章から、筆者の意見に最も近いものを選べ」とか、未だに分からない。
答えの根拠を説明されてもさっぱり。
「俺はこう感じたからこう考えた、なのに間違いって何?
第一、その答えを決めるにあたってきちんと筆者に確認を取った?
筆者が決めた答えなら仕方ないけど、もしそうでないなら何とおこがましいんや。
何を偉そうに人様の文章を勝手に決め付けとんねん。」
といつも思ってた。あー歪んでるな。
でも、学校を出てからは「作者はどう考えていたか」よりも、「自分はどのように感じた・考えたか」の方が求められる場面は多いと思う。
そう考えると、小学校からあったあの手の問題は、読解力を養うというより受験のためのものだったのかな。
【以下は参考までに】

小学校の3年生ぐらいのころのことをいまでも思い出すんだけど、教室で誰かの書いた文章を読んでいて、先生が「さて、この作者は何を言いたかったんでしょうか?」と聞いたんです。
え?言いたいことはすべてここに書いてあるじゃない……。
そういう質問は、今でも不思議に思うんです。
我々の世代がなんか言わなきゃいけないと感じているのは、教育からもきているのかもしれない。
作者は、別にそれほど言いたいとは思っていないかもしれないし。
たとえば、ただ、おもしろいものを書きたいだけで。
第25回 ぼくは意味が嫌いです(ほぼ日・はじめてのJAZZ)

【追記】
あー言いたいことの半分も書けてない。続くかも。