「1995年1月17日午前5時46分」

今でもこの時刻は僕の中で色濃く残っています。僕は直接的な被害を受けなかったですが、当時の震度で確か4くらい*1の揺れを感じました。
これはあまり信用してもらえそうにないので話すことが少ないのですが、せっかくなんで書いてみます。
当時、父は単身赴任で家族と一人離れて暮らしていました。それほど遠くない距離(姫路〜大阪)だったので、週末は家族の元で過ごし、日曜の夜遅くに家を出ていくのが習慣でした。しかし、地震のあった1995年は、成人の日*2が日曜日と重なった振り替えで、17日は連休明けでした。なので父は16日の夜に家を出るはずでしたが、都合で翌17日の早朝に家を出ることになりました。
ここで、姫路と大阪の位置関係をご存知の方なら分かると思うのですが、その通り道にはあの神戸があります。父はいつも阪神高速を利用しており、その日も朝早くに家を出た父は、地震のあったあの時、阪神高速の上を走っているはずでした。
しかし、地震が来た時、父は家でまだ眠っていました。
実は一旦は起きて、家を出る準備をしたのですが、どうも体調が悪いということで家を出る時間を遅らせていたそうです。普段、体調を崩すことのない父だけに、このめぐり合わせは奇跡としか言いようがありませんでした。あの日、父があの阪神高速の上を走っていたなら、今、僕はこうして地震のことを振り返ってはいなかったかもしれません。
僕にとって1月17日は、亡くなった方々を追悼する日であると共に、今生きていることに感謝する日になりました。

*1:今とは尺度が違います

*2:当時はまだ15日